こんな遠くまでのご訪問、ありがとうございです。

聞くも涙です、ハイ。
そして笑顔ですハイ。
来年は、丑年である。私の兄弟では兄貴(長男)が丑年である。私は4番目、同じ兄弟でも一回り以上年が違う。昔はみんなそんなんだった様に思う。5歳頃に三輪車でヒックリ返り左足を複雑骨折?、何年も父、兄達に付き添って貰って接骨院に通った。特に冬期間は痛みが出てきて厳しかった。毎年、冬から春先まで治療が続いた。この時代、整形外科はなかったとは思われないが、骨折なら接骨院でという考えで主に外的治療だった。揉んで、白いものを塗るだけだった。塗って貰ったら冷や冷やして気持ちが良かった事。それでも近所では腕白坊主で通っていた。

兄弟姉
沢山いた兄弟も、今はもう、姉と私だけだ。兄貴達は、親代わりになってくれたり、よく世話になった。鉄工所を経営していたころの兄の会社に用事の帰り何べんか寄った事がある。おう、来たのか、と言う感じで目で合図をして又、手を休めないで黙々と旋盤を操作していた、兄の後ろ姿を覚えている。弟は再就職して、この会社に入り、後々兄貴の会社を盛り上げていったように思う。
[運命の整形外科医との出会い]
私は、左足を患って、中学を卒業して足に負担の懸からないような仕事を探し、落ち着いた。けど、足の痛みが続き、数ヶ月でダウン、個人商店を止む無く退職。父に連れられて大病院の整形外科で漸く本格的に入院治療に入る。精密検査、足のくるぶしが内部で化膿し、あわや切断か、と言うところまでいっていた。主医師、スタッフを説得してくれたのは両親だ、特に父親だ。両親にはよく心配をかけた。痛いから早く足を切って呉れと駄々をこねた。主治医、スタップ医師達の献身的治療で切らずに難しい峠を越した。…
退院してから3年程の療養期があった。自分なりの人生について考えた。(病名…末期の骨膜炎)
「読み書きそろばん」
読み書きそろばん、療養している間に雑学読書、書道、特にそろばんを基礎から習った。それがまさか、珠算の道に入るとは思いも寄らなかった。自分には知識も才能も無かったが、周りの人達と環境が良かったのだ。そろばんで自信を付けて貰ったのだ。
「牛歩貫志」
その自信が、正直勉強が好きなほうではなかったが、自分に向いたこの仕事をしながら数年後に時間の余暇を生かし、高校(4年間通信制)の門に入った。かあさんの協力があってのことだ。
働きながらの級友達に助けられながらの卒業だった。体育は楽しいが走るのは苦手である、これは、今でもそうだ。精々小走り。
卒業の時に担任の先生から貰った色紙が「牛歩貫志」である。こんな言葉は知らなかった。卒業は勿論30歳を過ぎていた。先生なりに、考えての4文字を贈って戴いたように思う。
牛の歩みは、のろのろしているけれども、一旦、心に決めたことを通す、貫く、といった意味合いと理解している。
ギブス(義足)について
退院の時に、尊敬する医師から金具と皮で出来た膝から下のギブス(義足)を一生付けるよう義務付けられた。……驚きながらも「ハイ」と言った。2年程で付けなくても大丈夫歩けるので付けないようにした。廻りも驚いていた。そのまま、ずっと順調に歩けたのだ。…
青春時代の私のキーワード
小学生の頃…「 亀 」・急がない、お先にどうぞ!
中学生の頃…「バケツ」・教室の隅にある防火用水の水に、目立たないようにして、大きい火鉢の隅に腰かけ左足を突っ込んで冷やしていた、その気持ちのいいこと。休み時間はまだかなア!
入院療養の頃…「注射針」・入院早々、大の注射器で腫れていた患部から膿を抜き出す。いっぺんに歩けなくなった、限界まで来ていたのだ。そして朝夕大小の注射。
「人生、二一天作五」
人生、隠しても現れる。悪性は直して貰った。足首の筋肉と骨組みは発達していない、弱いのだ。義足しないで普通のように歩いてきた。それはそれで良かった。
人は表面だけを見て判断する。内面を見ない、勿論見えない。それに拘ったと思わないが、医師の言葉は忘れていなかった。その足が今痛んで来ている。よく歩いた日、無理をした時、夕方、風呂に入り寝床につくと、ズキン、ズキンしてくる時がある。。かあさんが腰に貼っているロキソニン(経皮呼吸型鎮痛・抗炎症剤)外用薬を借用し貼るとヒンヤリして不思議に鎮まる。
よくここまで保もったものだ。近々、整形外科を尋ねようと思っている。かあさんが度々進めている。うん、そうだね、明るく受け答え。
平成21年は、その何回目かの丑年である。
人生「二一天作五」これからの人生も大事にしよう。
好きな言葉 ゛七転び八起き ゛
※つたない文、辛抱してお読みいただき、感謝、ただ感謝。
辛抱強い貴方のこれからのご多幸お祈ります。ё
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<印象>
☆接骨医師とのお付き合い。
☆中学の担任(進学断念した時…勉強はいつでも出来る。)
☆忘れられない整形外科名医、若いスタッフ先生方、笑顔の看護婦さん 方忘れ難き。
☆接骨院と整形外科の違い。

聞くも涙です、ハイ。

そして笑顔ですハイ。

来年は、丑年である。私の兄弟では兄貴(長男)が丑年である。私は4番目、同じ兄弟でも一回り以上年が違う。昔はみんなそんなんだった様に思う。5歳頃に三輪車でヒックリ返り左足を複雑骨折?、何年も父、兄達に付き添って貰って接骨院に通った。特に冬期間は痛みが出てきて厳しかった。毎年、冬から春先まで治療が続いた。この時代、整形外科はなかったとは思われないが、骨折なら接骨院でという考えで主に外的治療だった。揉んで、白いものを塗るだけだった。塗って貰ったら冷や冷やして気持ちが良かった事。それでも近所では腕白坊主で通っていた。


兄弟姉
沢山いた兄弟も、今はもう、姉と私だけだ。兄貴達は、親代わりになってくれたり、よく世話になった。鉄工所を経営していたころの兄の会社に用事の帰り何べんか寄った事がある。おう、来たのか、と言う感じで目で合図をして又、手を休めないで黙々と旋盤を操作していた、兄の後ろ姿を覚えている。弟は再就職して、この会社に入り、後々兄貴の会社を盛り上げていったように思う。
[運命の整形外科医との出会い]
私は、左足を患って、中学を卒業して足に負担の懸からないような仕事を探し、落ち着いた。けど、足の痛みが続き、数ヶ月でダウン、個人商店を止む無く退職。父に連れられて大病院の整形外科で漸く本格的に入院治療に入る。精密検査、足のくるぶしが内部で化膿し、あわや切断か、と言うところまでいっていた。主医師、スタッフを説得してくれたのは両親だ、特に父親だ。両親にはよく心配をかけた。痛いから早く足を切って呉れと駄々をこねた。主治医、スタップ医師達の献身的治療で切らずに難しい峠を越した。…
退院してから3年程の療養期があった。自分なりの人生について考えた。(病名…末期の骨膜炎)
「読み書きそろばん」
読み書きそろばん、療養している間に雑学読書、書道、特にそろばんを基礎から習った。それがまさか、珠算の道に入るとは思いも寄らなかった。自分には知識も才能も無かったが、周りの人達と環境が良かったのだ。そろばんで自信を付けて貰ったのだ。
「牛歩貫志」
その自信が、正直勉強が好きなほうではなかったが、自分に向いたこの仕事をしながら数年後に時間の余暇を生かし、高校(4年間通信制)の門に入った。かあさんの協力があってのことだ。
働きながらの級友達に助けられながらの卒業だった。体育は楽しいが走るのは苦手である、これは、今でもそうだ。精々小走り。
卒業の時に担任の先生から貰った色紙が「牛歩貫志」である。こんな言葉は知らなかった。卒業は勿論30歳を過ぎていた。先生なりに、考えての4文字を贈って戴いたように思う。
牛の歩みは、のろのろしているけれども、一旦、心に決めたことを通す、貫く、といった意味合いと理解している。
ギブス(義足)について
退院の時に、尊敬する医師から金具と皮で出来た膝から下のギブス(義足)を一生付けるよう義務付けられた。……驚きながらも「ハイ」と言った。2年程で付けなくても大丈夫歩けるので付けないようにした。廻りも驚いていた。そのまま、ずっと順調に歩けたのだ。…
青春時代の私のキーワード
小学生の頃…「 亀 」・急がない、お先にどうぞ!
中学生の頃…「バケツ」・教室の隅にある防火用水の水に、目立たないようにして、大きい火鉢の隅に腰かけ左足を突っ込んで冷やしていた、その気持ちのいいこと。休み時間はまだかなア!
入院療養の頃…「注射針」・入院早々、大の注射器で腫れていた患部から膿を抜き出す。いっぺんに歩けなくなった、限界まで来ていたのだ。そして朝夕大小の注射。
「人生、二一天作五」
人生、隠しても現れる。悪性は直して貰った。足首の筋肉と骨組みは発達していない、弱いのだ。義足しないで普通のように歩いてきた。それはそれで良かった。
人は表面だけを見て判断する。内面を見ない、勿論見えない。それに拘ったと思わないが、医師の言葉は忘れていなかった。その足が今痛んで来ている。よく歩いた日、無理をした時、夕方、風呂に入り寝床につくと、ズキン、ズキンしてくる時がある。。かあさんが腰に貼っているロキソニン(経皮呼吸型鎮痛・抗炎症剤)外用薬を借用し貼るとヒンヤリして不思議に鎮まる。
よくここまで保もったものだ。近々、整形外科を尋ねようと思っている。かあさんが度々進めている。うん、そうだね、明るく受け答え。

平成21年は、その何回目かの丑年である。
人生「二一天作五」これからの人生も大事にしよう。
好きな言葉 ゛七転び八起き ゛
※つたない文、辛抱してお読みいただき、感謝、ただ感謝。
辛抱強い貴方のこれからのご多幸お祈ります。ё

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<印象>
☆接骨医師とのお付き合い。
☆中学の担任(進学断念した時…勉強はいつでも出来る。)
☆忘れられない整形外科名医、若いスタッフ先生方、笑顔の看護婦さん 方忘れ難き。
☆接骨院と整形外科の違い。




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